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京都地方裁判所 平成8年(わ)1249号 判決

主文

被告人を無期懲役に処する。

未決勾留日数中六〇〇日を右刑に算入する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(認定した犯罪事実)

被告人は、かねてから交際していたA子が、被告人と別れ、自己の知人と交際を始めたことを知り、よりを戻そうとしたものの、同女に冷淡にされたことなどに憤慨し、同女の自宅に放火するなどして同女を殺害しようと決意し、平成八年一〇月二四日午後二時ころから午後三時五七分ころまでの間、京都府八幡市《番地省略》所在のA野荘一〇一号室のB方において、右A子(当時一九歳)の左頬部を刃物様のもので突き刺すなどした上、同女の身体・着衣及びその周辺に灯油を撒き、これに点火して火を放ち、よって右A子及びBらが現に住居に使用している木造瓦葺二階建共同住宅である右一〇一号室(床面積合計約六二・五三平方メートル)を全焼させて焼損するとともに、そのころ、同所において、同女を全身の広範囲火傷による火焔ショックにより死亡させて殺害した。

(証拠)《省略》

(事実認定の補足説明)

弁護人らは、被告人は判示犯行の犯人ではなく無罪である旨主張し、被告人は捜査段階で一通だけ判示犯行発生日に判示のB方に入ったことを認める調書が存在するものの、一貫して犯行を否認し、公判段階では弁護人と同旨の供述をするので、以下検討する。

一  証拠によって認められる基本的な事実

関係各証拠によれば、平成八年一〇月二四日午後三時五七分ころ、近隣住民から、京都府八幡市《番地省略》所在のA野荘一〇一号室B方(A野荘は、木造瓦葺二階建の九居室を有する共同住宅であるが、右B方居室の構造は二階建となっており、一、二階の床面積の合計は、約六二・五三平方メートルである。以下「被害者方」という。)から煙が出ているのを発見した旨の一一九番通報があり、消防士が出動して消火活動をした結果、右火災は被害者方を全焼して鎮火したが、同日午後四時三五分ころ、焼け跡から、A子(以下「被害者」という。)の遺体が、一階六畳居間でうつぶせの状態で発見されたこと、被害者方一階の玄関扉、便所アルミサッシ高窓及び風呂場アルミサッシ高窓は施錠されていたが、勝手口扉は開錠されており、勝手口横のアルミサッシ高窓も、錠は焼け落ちていたが、開錠していたものと認められること、被害者の遺体は、左手が左胸の辺りに置かれ、血痕様のものが付着したタオルをつかんでおり、右手は左腰部のズボンの上端部を押さえるような状態にあり、着衣は、上半身はセーター、下半身はズボンで、明らかな着衣の乱れはなく、ズボンのボタンは留められていたが、ジッパーは下ろされた状態であったこと、右居間には、その日の朝には押入にしまってあった敷布団一枚が敷かれており、被害者の遺体の腹部等が同布団上に一部載せられた状態であったこと、被害者の遺体を解剖した結果、その左頬部には、有尖刃器によると考えられる、ほぼ水平に走り周囲に中等度の出血を伴う長さ約二・七センチメートル、幅約〇・七センチメートルの刺切創が、また、その左手掌中央部には、ほぼ水平に走る鋭器による防御創と考えられる長さ約六センチメートル、幅約〇・一センチメートルないし〇・五センチメートル、深さ約〇・一センチメートルの創傷がそれぞれあり、いずれも被害者の生前に形成されたものと考えられること、被害者の膣内容液を検査した結果、微量の精液の存在が示唆されたものの、死亡数時間以内に被害者との間で射精を伴う性交があったと考える積極的根拠は見当たらなかったこと、被害者方を捜査した結果、何者かが、被害者の身体・着衣及びその周辺に灯油を撒いて火を放ったものと認められ、被害者は全身の広範囲火傷による火焔ショックにより死亡したものと判断されたこと、被害者の胃と食道の内容物からも灯油が検出されたが、特に食道の内容物中の灯油は、水に垂らすと油滴状となって水面に浮くほどの含有度であり、何者かによって灯油が撒かれた際、被害者は生存していてこれを飲み込んだものと考えられこと、被害者は、被害者方で両親と三人暮らしをしていたが、本件が発生した当時、右両親は仕事のために外出中であったこと、被害者は、被害者方近くのコンビニエンスストア・B山国道八幡店(以下「国道八幡店」という。)でアルバイトをしながら、保母を目指して、大阪市生野区にあるC川教育福祉専門学校の夜間部に通学し、月曜日から金曜日までは、午前七時ころ(日によっては午前八時ころ)自宅を出て、自分の原付バイク(以下「原付」という。)に乗り、二、三分の距離にある国道八幡店に赴き、午後二時ころまでアルバイトをした後、原付で帰宅してから、午後三時三〇分ころ原付で京阪電車の八幡市駅に行き、駅前に駐輪して、電車で右専門学校に行き、午後五時三〇分ころから午後九時ころまで授業を受けた後、午後一〇時三〇分ころ帰宅して、夕食や入浴を済ませ、午前零時ころ二階の自室に入って就寝するという生活を送っていたが、毎週木曜日には、このほか、午後三時三〇分ころから約一時間のピアノの個人レッスンを受けるため、午後二時三〇分ころ原付で自宅を出て、八幡市駅に行き、そこから電車に乗って、大阪府枚方市内でピアノのレッスンを受けた後、そのまま右専門学校に通っていたこと、本件の発生した日は木曜日であり、被害者は、その日午後二時過ぎまで、国道八幡店でアルバイトをしてから帰宅したが、その後、ピアノのレッスンを受けに行く予定であったことなどが認められる。

二  争点

右事実等からすれば、何者かが、被害者方において、アルバイトから帰宅した被害者の左頬部を刃物様のもので突き刺すなどした上、同女の身体・着衣及びその周辺に灯油を撒き、それに点火して火を放ち、被害者方を全焼させるとともに、被害者を全身の広範囲火傷による火焔ショックにより死亡させて殺害したこと(以下「本件犯行」という。)は明らかである。

そして、検察官は、被告人が、交際していた被害者から別れを告げられて、翻意を求めたものの拒絶され、また、更に被告人と交際を断った直後に、同女が、被告人の知人であるCと交際を始めたことを知り、被害者に復縁を迫ったが冷淡にされたことなどに憤慨して、本件犯行に出たものと主張する。

これに対し弁護人らは、被告人には本件犯行を行う動機がないし、本件犯行が発生した日、被告人は、神戸市内の三宮に行っていて、アリバイがあるなどとして無罪を主張し(弁護人らは、冒頭手続においては、本件公訴事実のうち、被告人が、かねてから交際していた被害者が、被告人と別れてCと交際を始めたことを知り、よりを戻そうとしていたことは認めるとしていたものであるが、最終弁論では、実質的にこれを否認している。)、被告人もこれに沿う供述をする。

三  本件犯行の発生直前ころまでの関係者の人的関係等

1  関係各証拠によれば、平成八年の夏ころまでの、被告人その他関係者の人的関係等は、大要、次のとおりと認められる。

被告人は、平成七年一一月に、コンビニエンスストアを経営する株式会社B山に入社し、B山羽束師店勤務を経て、同年一二月からは国道八幡店で副店長(最後の約一か月間は店長)として勤務するようになった。

Cは、平成七年八月ころ、右羽束師店でアルバイトを初めて同店の店長であった被告人と知り合って、被告人とほぼ同時期に国道八幡店に移った。

被告人及びCは、平成六年五月ころから国道八幡店でアルバイトをしていた被害者と知り合ったが、被告人は、同店の経営形態の変更に伴い、平成八年四月(以下の月又は月日は、特に断らない限り平成八年である。)にB山小倉西店へ移った。

同じ四月ころ、被告人は、被害者に交際を申し入れたところ、それまで男性との交際歴のなかった被害者は、右申入れを受け入れて両者の交際が始まった。

他方、Cには、前記羽束師店で勤務していた時に、同じアルバイトをしていて知り合ったD子という交際相手がいたが、偶然にも、D子と被害者は友人であった。

被告人は、被害者とデートをする際、被害者の妹やその交際相手(後に両者は婚姻して、被害者の妹はE姓となる。)と一緒にボーリング、ドライブ、カラオケなどに行ったり、CやD子と一緒に遊びに出かけたりしたほか、被害者方でその家族と一緒に食事をしたこともあり(被害者の母親F子は、五月ころから、被告人が五、六回被害者方を訪れて食事をした旨供述している。)、被告人と被害者との交際は、当初は良好であった。

2  その後の平成八年の夏を過ぎたころから、本件の直前までの被告人と被害者との交際状況等に関しては、被告人以外の関係者の供述と被告人の供述とが食違うところ、それぞれの供述を検討する。

(一) 証人C、同G子、同E子及びF子は、要旨、次のとおり供述(以下、「供述」には、公判供述、公判調書中の供述部分及び供述調書を含む。)している。

夏が過ぎたころから、被告人と被害者の関係はおかしくなり始め、被害者は、九月ころ、妹のE子に対し、「被告人と別れたい。」と話し、また、同月二二日ころ、被告人が被害者方に来て食事をして帰った後には、母親に対し、「被告人はしつこいから嫌だ。」などと話した。

被害者は、同じ九月ころ、親友で、国道八幡店で一緒にアルバイトをしていたG子に対し、「学校の勉強だけに集中したい。被告人と別れたい。被告人から会いたいと言われることに対して束縛を感じる。」などと悩みを打ち明け、被告人には直接言いにくいとして、その旨を被告人に伝えるようG子に依頼した。

そこで、G子が、被害者の気持ちを被告人に伝えると、被告人は、「被害者のことをあきらめる。」と述べたが、実際には、被告人は被害者に対する想いを断ち切ることができず、その後も頻繁に被害者のポケットベル(又は携帯電話)を鳴らしたり、電話をかけたりしたため、被害者はポケットベルの音が出ないようにするとともに、G子に対し、「電話をかけたり、家に来たりしないでほしい。」と被告人に伝えるよう依頼した。

G子が、電話で被告人にその旨を伝えると、被告人は、「被害者のことをあきらめる。」、「もう電話しない。」、「もう行かない。」などと言う一方で、「やっぱりあきらめられない。」などとも返答した。

九月三〇日、被害者は、誕生日プレゼントとして被告人からカバンを贈られたが、G子に対し、「もらいたくなかった。」と告げた。

同じころ、Cは、D子から理由を告げずに別れ話を持ち出されたため、一〇月一日、被告人方に行って被告人にそのことを相談するとともに、被告人に対し、D子の友人である被害者を介して、別れた理由をD子に聞くよう依頼したところ、被告人は、「自分も被害者と別れそうだ。」とCに告げ、逆に、Cに対し、「被害者との仲を取り持ってほしい。」と頼んだ。

一〇月二日、Cは、被害者に会ってD子との経緯を説明するとともに、被告人に対する被害者の気持ちを質したところ、被害者は、「被告人とはもう別れている。八月の終わりぐらいで終わっている。毎日電話しろとか家に来いとか言ってしつこい。束縛されるのが嫌だ。何か弱々しくて、はっきりしてほしい。」などと述べた。

一〇月三日、Cは、被告人に会って、遠回しに、被害者が被告人と別れたと言っていたことを告げ、「あきらめたらどうか。」と話したが、その日、被告人は、被害者の翻意を求めるため、被害者に対し、「最後に一度だけ会ってほしい。」と申し入れた。被害者が、専門学校の帰りに、被告人が一人暮らしをしている八幡市内のアパートの部屋を訪れると、被告人は、被害者を押し倒して無理やり肉体関係を結ぼうとしたので、被害者は、これを拒絶し、車で迎えに来た母親とともに帰宅した。

被害者は、その後、C、G子及び被害者の妹に対し、被告人にベルトに手をかけられて外されそうになったことや、スカートに手を入れられ、手首を押さえつけられて、押し倒されそうになったことなど、被告人にセックスを迫られた状況について話をしたので、Cは、被告人方に行き、「何でそんなことをするのか。」と抗議すると、被告人は、後ろから手を腰に回して何かしようとしたことは認めたが、「愛情を確かめたかっただけで、襲ったのではない。」などと弁解した。

一〇月上旬ころ、被告人は、被害者のポケットベルに、「自分のことをもっと頼ってくれ。」などの趣旨のメッセージを何回も流したが、被害者は、被告人に電話をかけるなどの応答をしなかった。

一〇月一一日、被告人は、家人が留守であった被害者方に侵入したが、被害者の部屋である二階六畳間の押入内に潜んでいるところを、帰宅した被害者の母親に見付けられた。その際、被告人は上下とも黒っぽい服装で、帽子を目深に被り、手袋をはめ、両手に棒状の物を持ち、リュックを背負っていたが、右母親から詰問されると、「被害者ともう一回話がしたかった。電話しても取り合ってくれないから。」と答えた上、「警察に突き出してもらっても構わない。」と言ったが、右母親は事を荒立てない方がよいと思って、被告人をそのまま帰した。被告人は、その夜、再度被害者方を訪れ、「被害者方の前を通ったら、扉が少し開いていて、不用心だから待っていたところ、居眠りをしてしまった。」とか、「背広を着た人が二人くらい家の中から出てきた。」などと弁解して謝罪した。

一〇月一二日、被害者は、G子に前夜の出来事を話し、「侵入の件は許すが、もう二度と会いたくないし、話もしたくないので、電話をかけたり、家に来たりしないよう被告人に伝えてほしい。」と頼み、G子は被告人にその旨を伝えた。

そのころ、被告人は、被害者方のポストに、「お前の根性をたたき直してやる。おれの熱いロックンローラーの魂でお前を変えてみせる。今度、夜這いするぞ。」などと書いた手紙を入れたことから、被害者はCにその手紙を見せて、被告人と交際したことは最悪であったと話した。

一〇月一八日、Cは、それまでも好意を持っていた被害者に対し、その数日前から恋愛感情を抱くようになっていたが、被害者がその旨打ち明けると、被害者はこれを受け入れた。

一〇月一九日朝、被害者は、G子に対し、Cと交際することになった旨を打ち明けたところ、G子は、被告人との関係等から時期尚早と考えて右交際に反対の意思を示すとともに、昼ころ、被告人に電話をかけて、被害者とCが交際を始めたことを伝えた。被告人は、すぐにCに電話をかけて、「何を考えているんや。何でそんなことをするんや。君は俺を裏切ったんや。友達でも何でもない。」などと抗議した。Cは、被告人を裏切った負い目が大きかったため、「殴って気が済むなら、殴ってもらっても結構だ。」と述べて謝ったが、被告人は、「今から被害者に会いに行く。最後に一回くらいいいだろう。」と述べ、Cは、最後ならということで了承した。被告人は、その直後、国道八幡店に行き、アルバイト中の被害者を同店外に呼び出して、よりを戻すことを求めたが、被害者は、「一回嫌いになった人は、もう絶対好きになれないから、やり直せない。」などと告げて復縁を拒否した。その後、Cは、被告人の恨みを買って何をされるか分からないとの不安を抱いて、被害者にその旨を話したところ、被害者は、「殺されるんやったら、私の方や。絶対、私、殺されるわ。何かされるわ。あの人、変なところで度胸あるし、切れたら何するか分からへん。」などと話した。

一〇月二〇日昼ころ、Cは、被害者方を訪ねる約束をしていたところ、被告人が自宅周辺をうろついていることに気付いた被害者は、Cに電話をかけて、「被告人が家の前をうろついているので、今は来ないでほしい。被告人と接触することだけは止めてほしい。」と言った。その日、被告人は、被害者方に行き、同女に預けていた被告人方のアパートの鍵を取り返すとともに、被害者を「最低の女である。」とののしり、また、Cに電話をかけて、「セックスしたんやろう。乳もんだか。キスしたか。」などと被害者との関係を執拗に尋ねた。

以上のような内容の供述である。

(二) これに対し、被告人は、公判廷で、被害者との交際状況等について、大要、次のとおり供述する。

被害者は、被告人との交際が始まって間もない四月下旬ころから、被告人方のアパートを訪れるようになり、五月から六月にかけては毎日のように被告人方を訪れるようになって、被告人に対しセックスを求めてきたが、被告人は、当初、被害者との体重差や体格の違いからかこれに応じられなかったところ、七月下旬ころ初めて肉体関係を持った。

八月一五日から同月一七日にかけて、被害者の両親は、被害者の妹とともに旅行に出かけ、被害者が一人で留守番をしていたが、被害者は、同月一六日午前一時三〇分ころ、被告人方に突然窓から入ってきて、被告人を驚かせた。被告人らは、ふざけ合っているうちに肉体関係を三回結んだ。また、同日夜に、被告人が被害者方に行ったが、被害者は、「三年後に結婚しよう。」と言い、被告人は結婚までのプランを書かされた。被告人は、その日、一旦帰宅してから、翌日午前零時過ぎ、再び被害者方を訪れ、被害者と肉体関係を結んだが、その際、被告人は、疲れていたためか、マラソンをした後のように呼吸が激しくなり、吐き気をもよおした。

被告人は、その後も九月初旬ころまでの間に何度か被害者と肉体関係を持ったが、両者の体重差や精神的ストレス等からか、途中で疲れてしまい、吐き気をもよおすなど身体的不調を覚えるようになった。被告人は、被害者に気付かれないようにしていたが、このセックスの問題が最大の原因となって、被告人と被害者の関係は次第にぎくしゃくし、その後も、被告人が体調不良のため、セックスの求めに応じなかったことなどから、被害者の怒りを買った。そのため、被告人の被害者に対する気持ちは冷えていき、被告人は被害者との交際をやめた方がいいのではないかという気持ちに傾き始め、九月三〇日の被害者の誕生日には、きっぱり別れ話を切り出した。

一〇月三日、被告人は、昼間に被害者をピアノのレッスンのために枚方市まで送り、専門学校帰りの被害者を八幡市駅まで迎えに行って、ドライブをしてから二人で被告人方に戻ったが、同所で、被害者は、被告人に対して「うちは別れたとは思ってないよ。もう一回やり直そう。」と述べて復縁を求めるとともに、セックスを求めてきた。しかし、被告人は、例の吐き気がして応じられなかったことから、被害者は激怒して帰宅し、翌日に「被告人にスカートの中に手を入れられた。」とか「ベルトに手をかけられて外されそうになった。」などとありもしないことを友人等に言いふらした。

一〇月五日、G子が、被害者から聞いたことを確かめるため、被告人に電話をかけてきたので、被告人は答えに困って、「反応を見てた。」と述べると、G子は、「被害者は生理中でなかったらセックスしたかったのに、と言っている。そういう気でいるのに、反応を見るだけでそんなことをされたら、女としてものすごく傷付く。」と言った。

一〇月八日、G子から被告人に電話があり、「前夜、被害者方前に被告人の車が停まっていたと被害者が述べているが、本当か。」と聞いてきた。被告人は、ありもしないことを被害者が言っていることから、変な作り話を言いふらすのはやめてほしいという内容の手紙を被害者に書いた。Cが被害者から見せてもらったという「お前の根性をたたき直してやる。おれの熱いロックンローラーの魂でお前を変えてみせる。」などと書いた手紙がこれであった。

一〇月一一日、被告人は、被害者が被告人方に置き忘れていた教材等を被害者方の新聞受けに入れておこうと考えて同人方に赴いたところ、不審な男が被害者方の玄関から出てくるのを目撃し、また、被害者方で飼っている猫が外に出ていたので、連れ戻して家の中へ入れるなどしたが、これでも猫が逃げるので、玄関の戸を閉めて、玄関の中で待たせてもらうことにしたところ、眠くなって寝てしまった。そのうち、被害者の両親が帰って来たが、被告人は、いつの間にか日が落ちて真っ暗な中で被告人が座っている姿を右両親が見れば驚くと思い、とっさに二階に上がって、押入に隠れたものの、被害者の母親に発見され、注意されて帰してもらった。被告人は、同日夜遅く、被害者方を訪れ、被害者の両親に事情を説明して謝罪したが、被告人方に戻ってから、さらに謝罪の手紙を書き、翌朝、被害者方のポストに入れた。

一〇月一三日、被害者が被告人方を訪れたが、被害者が特に怒っている様子はなかった。

一〇月一四日、被害者は被告人方を再度訪れ、被告人に対し、「もう一回やり直そう。」と復縁を求めてきたので、被告人は三日間の猶予を求めたが、やり直すのは無理であると思った。

一〇月一九日、G子が被告人に電話をかけてきて、「被害者がCと付き合うことになった。」と告げた。G子は、両者の交際に反対しており、すごく怒っていた。その後、被害者が被告人に電話をかけてきて「あほう。あんたのせいやねん。死んでしまえ。」などと言ったので、被告人は被害者に会って話をしようと思ったが、Cに断ってからの方がいいと思い、同人に電話した。Cは、「俺が悪い。殴ってくれ。」などと言ったが、被告人はCを責めることはせず、被害者と話をすることの了解を求め、その後、国道八幡店に赴いて、G子に被害者を呼び出してもらったが、いざ会うとお互い何を言っていいか分からず、ほとんど黙ったままであった。

一〇月二〇日、被告人はあらかじめ電話をした上、被害者方に赴いて、預けていた被告人方の合い鍵を返してもらったが、被害者は、その直前に交際を始めたCとの仲をひけらかしたり、被告人の新しい彼女との関係など不快なことを言ったりしたので、被告人の方から被害者に対し「付き合ったことを後悔している。もう二度とお前とは会わない。」と言って帰った。

以上のような内容の供述である。

(三) 被告人の右公判供述は、C、G子ら関係者が供述する被告人と被害者との交際状況等と全く相容れないものであるが、弁護人らは、被告人の右公判供述に依拠し、被告人は、被害者との復縁や同女との性交を切望していなかったから、本件犯行を行う動機がないと主張するものである。

そこで、C、G子ら関係者の供述、被告人の右公判供述の信用性について判断する。

(1) まず、証人C及びG子は、かつて同じ職場の上司であり、友人でもある被告人の面前で、同人に有利になる事実も不利になる事実も明確に供述しているが、記憶がはっきりしない点はその旨述べるなど、殊更被告人を陥れようとしている様子は窺われないし(被害者との交際を巡って対立関係にあったCはともかく、G子については、嘘をついてまで被告人を陥れようとする動機はない。)、その供述内容は、具体的かつ詳細で迫真性に富んでいるとともに、相互に符合するか整合しており、信用性が高い(なお、弁護人らの主張にかんがみ、Cが犯人である可能性についても検討したが、Cの携帯電話の利用状況その他の客観的事実、G子の供述内容などに照らせば、その可能性はない。)。

また、証人F子及び同E子の各供述は、被害者の身内ではあるが、話の流れも自然で、客観的に認められる事実関係と整合するとともに、C及びG子の供述する内容とも相互に符合しており、十分信用できる。

(2) これに対し、被告人の右公判供述は、その話の流れが全体として不自然、不合理であるばかりか、その春、高校を卒業したばかりで、それまで男性との交際歴がなく、昼間はアルバイトをしながら、保母を目指して専門学校の夜間部に通うという生活をしていた若い女性が、交際を始めて間もないころから、積極的に被告人に肉体関係を求めてきたとか、被告人が被害者と肉体関係を持つと吐き気等の体調不良に陥ってしまうとかいった、それ自体にわかに信用できない内容を含むものであるところ、被害者の両親らが盆に旅行中、被告人が、被害者一人で留守番をしていた同人方に泊まったことや、被害者が被告人方の合い鍵を受け取ったことはある(もっとも、これらは、被告人と被害者との関係が良好であったときのことである。)にせよ、被害者の妹である証人E子は、被害者から、「結婚するまで守るつもりで、被告人とは肉体関係を持っていない。」旨聞いたと供述し、同G子も、「男女関係は最後までは行っていない。」旨聞いたと供述しているのであって、右Eらが、被害者が何でも話せる関係にあった妹や同性の親友であることに照らすと、右各供述は信用性が高いと思われるのに対し、被告人の右公判供述は、被告人方から発見されたメモ類に、被告人が被害者の初セックスの相手となることを切望する記載があることに照らしても、信用できない。

また、被告人は、九月三〇日の被害者の誕生日に、同女にプレゼントを渡しているのであるから、その日に別れ話を被告人の方から持ち出したというのも不自然であるし、被告人が作り話であるとする一〇月三日に被害者が被告人方で同人にセックスを迫られたという件についても、Cからの抗議を受けて、被告人が、後ろから被害者の腰に手を回したことを認め、「愛情を確かめたかっただけであり、襲ったのではない。」と弁解していることや、捜査段階で、被告人自身、「被害者の気持ちを確かめたくて、無理やりセックスを迫ろうと、『好きだ。』と言って抱き付いて被害者を押し倒したが、被害者に『嫌や。』と言われて抵抗された。」と述べていることなどに照らし、被害者の一方的な作り話とは到底解されない(この点、Cは、「当日、被告人方に電話をした際、被告人と被害者が楽しそうで笑い声が聞こえていた。」などと供述しているが、それまで交際していた被告人から、「最後に一度だけ会ってほしい。」と懇願されて会いに行った被害者が、その場では愛想よく振る舞って、被告人の機嫌を損なわないように行動したとしても、格別不合理ではないと解される。)。

さらに、一〇月一一日に被告人が被害者方に侵入した件について、被告人が公判廷でする供述は、その内容自体が荒唐無稽なものであるところ、侵入箇所や侵入時刻等の点を含めて捜査段階から供述内容の変遷が著しい上、被告人自身、被害者の母親に見付かった際、「被害者ともう一回話がしたかった。電話しても取り合ってくれないから。」と弁解し、被害者に会うために侵入したことを認めていること、右母親に対し、「警察に突き出してもらって構わない。」などと述べて自己の行動の違法性を認識した発言をしていること、被告人は、不審な服装をし、一〇月中旬なのに両手に手袋まではめていたことなどに照らし、被告人の右公判供述は到底信用できず、その後の被告人の言動等をも勘案すれば、被害者方への右侵入は、被害者と何とか復縁したいと考えていた被告人が、その焦りから起こした行動と考えるのが合理的である(弁護人らは、被害者が午後一〇時三〇分過ぎに専門学校から帰宅する前に、両親が午後七時三〇分ころ帰宅するから、被告人が被害者を待ち伏せることはあり得ないと主張するが、被告人は二階の被害者の部屋の押入に潜んでいたのであるから、被害者のすきを衝いて襲うなどの行動に出ることがおよそ不可能であったとは解されない。)。

そして、被告人が、被害者とCとの交際を知るや、すぐにCに電話をかけて激しく抗議し、国道八幡店に赴いて就労中に被害者を同店外に呼び出し、よりを戻してほしいと求めていること、被告人方に残されていた、被告人がそのころ作成したとするメモ類にある「A子が熱烈に俺を愛し始める。」、「必ず一一月までにA子が俺に会いたいと電話をかけてくる。」などの記載は、被告人が何とか被害者とのよりを戻したいとの願望をつづったものと解されることなどをも勘案すれば、被告人が、右当時、被害者との交際をきっぱりあきらめていたものとは到底考えられない。

(3) 他方、被告人は、捜査段階において、七月の終わりころから、被害者との交際で行き違いが多くなり、被害者の怒りを買ったため、許しを乞おうとして何度も謝ったところ、被害者から、謝ってばかりで男らしくないと思われ、別れの手紙まで受け取ったので、何とか復縁してほしいと考え、一〇月三日に、被害者の気持ちを確かめたくて無理やりセックスを求めたことや、同月一九日に被害者とCとの交際が始まったことを聞き、立腹してCに抗議するとともに、被害者に会って翻意を求めたが、拒否されたこと、同月二〇日に被害者に会って被告人方の合い鍵を返してもらう際、被告人が、「僕とCのことを少しでも考えてくれてのことか。」と言ったところ、被害者から、「そんなことは自分には関係ない。」と言われて立腹し、「お前みたいな女と付き合っていたことをなしにしたい。そんな女と付き合っていたと思えば、はずかしい。二度とお前の前に姿を見せないから、お前も姿を見せるな。」と言ってやったことなど、むしろ前記Cらの供述に沿う内容を供述している(弁護人らは、捜査段階の被告人の右供述の任意性及び信用性を争うが、これに問題がないことは、後述のとおりである。)。

(四) 以上の検討の結果を総合すれば、被告人が公判廷で供述する内容である、九月三〇日に被告人の方から被害者に別れを切り出したところ、被害者は復縁を求めたが、被告人の方でこれを拒絶したことから、被害者は被告人に襲われたなどありもしないことを言いふらし、その後も被告人に復縁を求め続けてきたが、被告人の方から拒絶したなどとする部分は信用できない。むしろ、被告人は、九月下旬ころまでには被害者から別れを告げられ、一〇月三日には、被害者に無理やり性交を求めて拒絶されたのに、同月一一日に留守中の被害者方に侵入して被害者を待ち伏せる行動に及び、同月一九日にはCとの交際を始めたのを知って被害者に翻意を迫ったものの、拒絶されたため、同月二〇日に被害者方で、同女に預けていた被告人方の合い鍵を取り返した際、その腹いせから、被害者に対し、「最低の女」とののしるなどの行動に出た事実が認められる。

四  一〇月二三日夜の被告人の行動の評価

1  関係各証拠によれば、被告人は、本件犯行発生日の前日である一〇月二三日午後一〇時四三分から五二分までの間、七回にわたり、G子のポケットベルにメッセージ(「オカヤマカエルトチイウ」、「コウベマデキタゼ」、「アアトムイネムイ」、「ロイヤルホストノ」、「パ7キングニ」、「クルマトメテスコシネル」及び「オオヤアスウミイ」)を送り、被告人が同時刻ころ、車を運転して被告人の実家のある岡山に向かう途中であり、神戸まで来ていることを装った(ただし、G子が右メッセージの受信に気付いたのは翌朝であった。)が、実際には、被告人は、右当時、京都におり、岡山に向かう途中ではなかったことが認められる。

2  検察官は、被告人の右行動をアリバイ工作であると主張するのに対し、弁護人らは、被告人には以前から岡山の実家に帰省する計画があり、一〇月二三日、G子に対して、翌日か早ければ同日の晩にでも京都を出発して右実家に行くと述べたところ、その日の午後一〇時三五分ころ、被告人は、自宅から八幡市駅近くにあるコンビニエンスストアのB山石清水店に買い物に行こうとした際、専門学校から帰宅中の被害者らしい人物を見たが、同月二〇日に被害者に対し、「もう会わない。」と言っておきながら、出会ってしまい、被害者につきまとっている等の噂を流されるのを恐れたことから、被害者に見間違いと思わせようと考え、G子に前記ポケットベルのメッセージを送ったものであるなどと主張し、被告人も、公判廷でこれに沿う供述をする。

3  そこで検討すると、たしかに、一〇月二三日午後一〇時三〇分ころ、母親から買い物を頼まれた被害者が、専門学校帰りに右石清水店に立ち寄った事実は認められる。

しかし、右の際、被告人は、被害者らしい人物を見たというだけであって、その場でお互いにはっきり確認したわけでない以上、仮に被害者から誤解を受けたとしても、人違いであると被告人が言い通せば済む程度の問題であったと思われるし、そもそも、被害者の方から最後まで復縁を求めていたが、被告人が拒否して別れることになったなどという被告人の供述する被害者との交際経緯等からすれば、買い物に行ったコンビニエンスストアの近くで偶然、被害者と出くわしたこと自体、被害者につきまとっているとの誤解を受けるような出来事とは解されない。

それにもかかわらず、被告人が、自分の意思できっぱりと別れたとする元交際相手にどう思われるかをそこまで気に掛け、誤解されてあらぬ噂を流されるかもしれないなどと心配し、その「アリバイ」を作るためにこのような手の込んだ行動に出るというのは、動機として極めて不自然であるし、岡山に帰省中であることが、被害者に直接伝わるようにしたというのであればともかく、被害者の友人であるG子のポケットベルにメッセージを送ったというのも、いかにも迂遠である。

加えて、単に被告人が八幡市にいなかったとの右「アリバイ」を作るためであれば、一〇分間足らずのうちに七回も続けざまにG子のポケットベルにメッセージを打ったというのも不自然であるし、電話でなく、被告人からの一方的な発信しかできないポケットベルを使ったことにも、不自然な感を禁じ得ない。

4  以上によれば、被害者らしい人物を偶然見てしまい、被害者からつきまとっている等の噂を流されるのを恐れたため、G子のポケットベルに前記メッセージを送ったなどとする被告人の公判供述は、到底信用できない。

そして、被告人が、一〇月二三日夕方にG子に会った際、翌日か早ければ同日の晩にでも京都を出発して岡山の実家に行く予定であることを告げる必然性がないのに、これを告げていることは、右ポケットベルのメッセージの発信理由に不審な点があることと相まって、被告人には、何らかの意図で、同月二三日夜から翌日にかけて、岡山に向かっているとの印象をG子に与えておきたいとの願望があったことを、強く推認させるものである。

五  午後一時四八分に被害者方の加入電話機から発信された電話の評価

1  被害者方の加入電話の通話記録によれば、本件犯行発生の直前の時刻と認められる一〇月二四日午後一時四八分三五秒から一分四六秒間、同電話から、Cの携帯電話に電話がかけられている(以下「本件通話」という。)ことが認められるが、Cは、右時刻ころ、同人の携帯電話に着信した電話は二通話あり、一つは、被告人からの電話で、岡山の実家に帰る途中、六甲で道に迷っているので、帰り道を教えてほしいということとか、自車のブレーキが異常音を立てることについての相談に関するものなどであり、もう一つは、携帯電話に文字で表示される、いわゆるポケベル機能としての「スキヨ A」というメッセージであったと供述している。

ところで、本件通話が、Cに対する通常の会話のための発信であるにしろ、右メッセージのための発信であるにしろ、通話記録上は、Cの携帯電話に対する一回の通話として、同一に表示されるものと考えられるが、検察官は、本件通話は、本件犯行の犯人である被告人が、アリバイ工作のために、三宮にいることを装ってCに電話をしたものであると主張するのに対し、弁護人らは、本件通話は、被害者がCの携帯電話にメッセージを発信したものであると主張する。

2  そこで、まず、弁護人らの主張するメッセージである可能性について検討すると、関係各証拠によれば、被害者は本件当日の午後一時五八分の時点で国道八幡店で勤務しており、午後二時過ぎに家路についたことが認められるところ、被害者が本件通話を発信したとすれば、いかに被害者方と国道八幡店とが、被害者の使用していた原付で二、三分の距離にあったとはいえ、被害者が、一旦帰宅して、午後一時四八分三五秒から一分四六秒間、加入電話から本件通話をしてメッセージを発信し、午後一時五八分までに再び国道八幡店に戻って午後二時過ぎにまた帰宅するという不自然な行動をとったことになることに加え(もとより、メッセージを発信するだけであれば、被害者は携帯電話を所持していたのであるから、被害者方に戻る必要は乏しい。)、右メッセージは、「スキヨ A」というだけのいかにも取って付けたような内容で、緊急性も全くないものであるところ、数日前に交際を始めたばかりのCに対し、就業時間中に、被害者がわざわざそのようなメッセージを送ることは、不自然な感を否めないことなども併せ考慮すれば、右メッセージを被害者自身が発信した合理的可能性はないと解される。

3  次に、検察官が主張する通話の可能性について考えると、たしかに、本件通話は、本件犯行の発生した当日、被害者が帰宅する直前に、家人がだれもいないはずの被害者方からなされたものであることなどに照らすと、本件犯行の犯人によるものであることが強く推認される。

しかし、検察官の主張によれば、被告人が、被害者方に侵入し、同所設置の加入電話機を使って、アリバイ工作のためにCに電話をかけたことになるが、そのようなことをすれば、被害者方の加入電話の通話記録等から、被告人が同電話機を使ってCに電話をかけたことが判明することは容易に想像できるから、アリバイ工作として、そのような不合理な行動に出るのか疑問が残る(もとより、被告人は携帯電話を所持しており、アリバイ工作のためにCに電話をするだけなら、被害者方の加入電話機を使う必然性に乏しい。)。

加えて、Cは、被告人から昼ころあったとする電話(前述のとおり、被告人は、公判廷では、この電話は午後一時から午後二時の間に三宮センター街の公衆電話からかけた旨供述し、後述のとおり、捜査段階では、被害者方からかけたとか近くの「ごん平食堂」前の公衆電話からかけたなどと供述している。)につき、短かったとする一方で、五分から一〇分間くらいの長さがあったとも供述しているところ、ブレーキの話やその他たわいない話であったにせよ、一分四六秒間で収まる内容であったか疑問が残ること、そして、家人でない者が、使い慣れていない他人の家の加入電話機(被害者方に設置されていた電話機の種類は証拠上明らかでないが、通話記録上、同電話から被害者やG子のポケットベルに何度も発信がなされていることからすれば、Cあてにメッセージを発信できる機種の電話機であったと考えられる。)を使用して携帯電話にメッセージを入力する場合であれば、「スキヨ A」といった単純な文字の入力に一分四六秒を費やしても格別不合理とはいえないこと、被告人からの右電話の時刻に関するCの供述は、午後一時一五分前から一〇分前としたり、午後一時半としたり、午後二時一五分前としたりするなど曖昧である上、同電話があった時刻と、「スキヨ A」というメッセージを受けた時刻との前後関係についてもはっきりしないこと、Cは、右メッセージを受けた直後に、「オレモダイスキ」とのメッセージを打ち返しているが、その時刻は午後一時五三分七秒であることなどを勘案すれば、本件通話は、Cあての「スキヨ A」というメッセージの発信に伴うものであった可能性を払拭することができない。この場合については、検察官も弁護人も主張していないが、検察官は、被告人が本件通話を発信したと主張し、弁護人らは、本件通話が「スキヨ A」というメッセージであったと主張しているのであるから、このような中間的な場合を認定しても、被告人及び弁護人らに不意打ちになるものでないことは明らかである。

4  そして、本件通話が、Cが当日受信した「スキヨ A」というメッセージであった場合は、交際を始めて間もない被害者とCとの関係を知っている犯人が、犯行直前に、カムフラージュ等の趣旨で、被害者方から同所設置の加入電話機を使用して右メッセージを発信したものと認められる。そして、被害者とCとの関係は、Cが、本件のわずか六日前の一〇月一八日に被害者に交際を申し入れ、被害者は翌日に右事実をG子に告げ、G子が同日、これを被告人に告げているという状況であったのであるから、被害者とCが交際していることを知っている人物は自ずから少数に限定されると解され、かつ、被告人がその一人であることは明らかであり、さらに、前記の事実関係からすれば、被害者とCとの交際について確実に知っているG子及びCが本件通話をしたことは全くあり得ない。

5  他方、本件通話が、検察官の主張するように、被告人からCあての通常の通話であった場合には、当日三宮に行っていたなどとする被告人の供述するアリバイが全て破綻を来すとともに、被告人が本件犯行の犯人であることを決定づける事情となるというべきである。

六  被告人と本件犯行とを結び付けるその他の事情

1  被告人方から発見されたメモ類の記載

被告人方を捜索した結果、多数のメモ類が発見されたが、その中には、「作戦Ⅰ①2F南窓から侵入 AM2:00 ②一発必中 ③おぶって階段を下りる ④A子の靴をはいて出る ⑤1度中へ連れ込む→車を移動 ⑥玄関まで戻り鍵を探し、戸じまり(ただし、抹消のためと思われる横線がある。) ⑥2Fに油をまき、火をつける(ただし、抹消のためと思われる横線がある。)」(検第一四二号の資料5)、「作戦Ⅰ①2F南窓から侵入 屋根に上がる時、靴を脱ぐ ②5分待つ ③素早く近づき、一発必中 ④5分待つ ⑤カバンを探し出し、携帯の電源をOFFにしてから入れる ⑥俺のカバンごと入れてしまい、A子に背負わせる ⑦A子をおぶって降りて行き、A子の靴をはいて1度出る)(同資料6)、「VAR計画(中略) 7:30出動 8:05潜入 8:30自分の物を奪回 14:15メットをかぶり、冷蔵庫の陰から攻撃、まず目を狙い、次に側頭部 14:30処女地を頂戴する(3~4回)、写真は念入りに」(同資料66)、「11:00出動準備 11:30全計画の再チェック 1:00出動 1:30潜入左側前方に一発必中、目隠しをする 財布を探す 服を忘れずに 背負って降りてゆき、靴を拝借、外出、すぐに車の助手席に乗せ、出発 2:00処女地を頂戴する(3回程度)、写真は念入りに、終わったら着替えさせる 3:00|先、河原に(橋の下)置いてくる、再び目的地へ、鍵を探す→車は紙業駐車場」(同資料69)、「22:00までに車を金網の外に駐めておく 22:10~ひたすら待つ 22:40までに攻撃、左側に一発必中、すぐに背負って車の助手席へ、目隠し、車をアパートの前に駐め、運び出す、携帯と財布を探す、原チャリの鍵を探す、携帯をOFFにする」(同資料71)などと記載されたものが存する。

被告人は、公判廷で、右メモ類につき、過去に被害者とのセックスがうまくいったころのことを、イメージトレーニングの目的で書きつづったものであるなどとし、本件とは無関係である旨供述する。

しかし、被告人の右公判供述は、例えば、「2Fに油をまき、火をつける」は、被害者が被告人方で油を撒き散らして火が付いてしまったことであるとか、「1:00出動 1:30潜入」は、被害者が被告人方に来た時の行動であるとするなど、明らかに文書の形式や記載内容等と合わない、不合理、不自然なものである。

そして、被告人は、捜査段階で、本件犯行に対する関与は否認しつつ、右メモ類は、Cと被害者が交際を始めたのを知った一〇月一九日の夕方に、その時の感情を思いつくままに書いたもので、被害者を襲って無理やりセックスすることなどを考えたものである旨供述している(弁護人らは、捜査段階の被告人の供述の任意性及び信用性を争うが、これに問題がないことは、後述のとおりである。)のに、公判廷では、何ら合理的な説明もなく、捜査段階の右供述を変遷させているところ、被害者との交際状況等に関する被告人の公判供述が、全体として信用し難いことは、前述のとおりである。

以上によれば、右メモ類の記載が、イメージトレーニングであるなどとする被告人の右公判供述は、これらを作成した経緯の説明として、到底納得し得るものではない。

他方、右メモ類を本件犯行との関連性の有無という観点から見た場合、これらのメモ類には、侵入ないし潜入、待ち伏せ、被害者に対する「一発必中」と称する行動ないし攻撃、被害者の連れ出し、「処女地を頂戴する」ことなどが記載され、かつ、被害者が就寝している時間帯、アルバイト中の被害者が帰宅する前の留守中の時間帯、被害者が専門学校から帰ってくる前後の時間帯などに合わせて右計画が立てられているのであって、被害者方に侵入して被害者を襲撃し、略取し又は姦淫するといった計画として、ほぼ一貫した内容が書かれている。

そして、右メモ類に現れている記載のうち、「14:15メットをかぶり、冷蔵庫の陰から攻撃、まず目を狙い、次に側頭部14:30処女地を頂戴する」という部分は、それぞれ、推定される本件犯行の時間帯、帰宅した被害者を待ち伏せた上でなされたと解される本件犯行の態様、被害者の腹部等が敷布団上に一部載せられ、被害者の着用していたズボンのジッパーが下がっていたという遺体の状況と符合しているし、とりわけ、「2Fに油をまき、火をつける」という記載は、実際の犯行状況とは多少異なるにせよ、本件犯行中の極めて特徴的な部分とほぼ合致するものである。

これらに照らせば、右メモ類は、被告人の心情及び本件犯行に関する犯意を形成する過程を窺わせるものと評価することが、十分可能である。

2  被告人の捜査段階の供述

被告人は、一一月一日に任意同行を求められた後、同日、通常逮捕され、同月三日には勾留され、同月四日から一三日までの入院加療のため勾留執行停止期間を経て、再び勾留され、同月三〇日に公訴を提起されたものである。

ところで、逮捕の翌日である同月二日付けの被告人の警察官調書(検第二〇四号)には、被告人が、被害者に会いたいと思い、午後二時過ぎに被害者がアルバイトから帰宅することを知っていたことから、一〇月二四日正午ころ窓から被害者方に入って、台所で水を飲んだことや、午後一時から午後二時ころの間に、同所設置の加入電話機でCの携帯電話に電話をかけて、自分が六甲の峠を走行中であることを装うとともに、車のブレーキの話等をしたが、その後、他人の家に忍び込んでいるのが怖くなって逃げ出したことなどが記載されているところ、弁護人らは、右警察官調書は、被告人の自白獲得を目的として行われた前日の過酷な取調べの結果が記載されているなどとして、その任意性及び信用性を争っている。

そこで検討すると、警察官らは、一一月一日午前六時に被告人を任意同行し、被告人の承諾を得てポリグラフ検査を行った後、主として、任意提出関係の書類作成に時間を費やし、午後三時ころから実質的な取調べを行ったところ、午後八時二〇分ころ、被告人が被害者方に入って電話をかけたことを認めたことから、午後一一時一三分に通常逮捕したものであって、右警察官調書(作成者は辻本三夫警部補)の基本となる取調べが、前日に行われていたことが認められ、また、右取調べに当たった証人右辻本は、その際、被告人に、「でたらめを言うな。」と言ったこと、「嘘を言っちゃいかん。」と大きな声できつく叱ったこと、「君の心には良心はないのか。あんたの心の善玉はどう叫んでいるんや。」などと詰め寄ったこと、思い切って供述せよという趣旨で机を一回叩いたことなどを供述している。

しかし、右辻本は、被告人に暴行等を加えたことはないし、取調べに際しては被告人に黙秘権を告知していたこと、被告人も、少し眠らせてほしいと言っただけで、帰らしてほしいなどとの申し出はしなかったこと、右警察官調書は、一夜明けた同月二日の午前中(当日は、午後から検察官送致手続が行われる予定であった。)に、その内容について被告人に読み聞かせた上で、署名指印を求めて作成したことなどを供述しているが、証人右辻本の供述は、具体的で、取調べの経過として供述する部分も自然で合理性があって、十分信用でき、他の証拠をも総合すると、右供述どおりの取調経過が認定できる。そして、その他、弁護人らの主張にかんがみ検討しても、右警察官調書の任意性に疑いを抱かせる事情は認め難いというほかない(ちなみに、同日の留置場からの出入場状況は、①午前九時三二分から午前一一時五九分まで、②午後一時一六分から午後二時まで、③午後二時五〇分から午後七時二三分まで(検察官送致手続)、④午後七時五八分から午後一一時までとなっており、検察官送致手続を行っていることを考えると、取調べが午後一一時まで及んだことをもって、同日の取調べが違法ないし不当とは言えない。)。

弁護人らはまた、その後に作成された被告人の供述調書(検第二〇五号から第二〇七号まで、第二一五号、第二二三号から第二二九号まで)についても、連日、深夜に及ぶ長時間の過酷な取調べが行われたとか、被告人の疲労や体調を無視した取調べが行われたとか、脅迫的言辞を用いた取調べがなされたとか、被告人の言い分を記載しなかったなどと主張して、その任意性及び信用性を争っているところ、たしかに、被告人に対する取調べは、遅い日は午後一一時過ぎにまで及んでおり(一一月二日、一五日、二一日、二四日及び二五日)、ほかに午後一〇時を過ぎた日も数日ある(同月一六日、一九日、二〇日、二六日、二七日及び二八日)。

しかし、右取調状況は、いずれも当日ないし翌日の留置場からの出場時刻との関係で考えれば、被告人が睡眠不足その他体調不良を招く程度に過密なものとは直ちに評し得ないところ、その間の一一月二二日には、被告人が体調不良を訴えた際、取調べに当たった警察官は、約一時間三〇分の休息を与え、その後病院で受診させるなど被告人の健康状態に一定の配慮をしている(検第二二三号)のであるし、事案の重大性、被告人の供述状況、特に、被告人の弁解が多岐にわたるため、その裏付け捜査の必要があったことなどを考えると、ある程度深夜にまで取調べが及んだことには無理からぬところもあり、かつ、被告人の健康状態等に照らしても、右は被告人の捜査段階の供述の任意性を疑わせるようなものとは言えない。

被告人は、公判廷で、自己の体調や精神状態を無視した取調べが行われ、捜査官らは勝手に考えた内容を供述調書に書いたが、訂正を申し立てても無理だと思って、そのまま署名指印したなどと供述している。

しかし、被告人の供述調書には、その申立てに基づいて訂正がなされているものもあるほか(検第二一一号、第二一三号、第二二四号、第二二九号)、多くの供述調書は、全部又は大部分が問答式で取られていて(検第二〇六号から第二一五号まで、第二二四号から第二二八号まで)、一見不合理ないし不自然と思われる内容のものを含めて被告人の供述内容がそのまま録取されていること、特に検察官は、被告人の取調べに際し、何度も自己に有利な証拠はないのかと水を向けていることなどをも併せ考慮すれば、被告人の右公判供述は信用できず、その他弁護人らの主張を十分検討しても、捜査段階における被告人の供述調書の任意性を疑わせる事情は存在しないと言うべきである。

そして、被告人は捜査段階を通じて、本件犯行への関与を否認しながら、虚実を織り交ぜた供述をしていると考えられるところ、その中で、被害者方に本件当日侵入したことなど、あえて自分から本件犯行に関与したことを推認させる方向に働く事情を述べている点については、その信用性に疑いを差し挟む余地はない。

七  警察犬による臭気選別結果の信用性

1  関係各証拠によれば、本件犯行発生時、火災発生の知らせを受けて駆け付けた消防士が、消火活動のため、施錠されていた被害者方の玄関ドアをバールでこじ開けて入ったところ、同ドアのすぐ内側に、青色の灯油を入れるポリタンク一個(以下「本件ポリタンク」という。)が倒れた状態で転がっていたこと、消防士は、消火活動の邪魔になるとして、本件ポリタンクを玄関の外に蹴り出したこと、本件犯行発生前、被害者方の玄関土間の室内に向かって左側には、本件ポリタンクを含め三つのポリタンクが並べられており、本件ポリタンクはそのうち最も奥にあったものであり、その中には約五リットルの灯油が入っていたが、鎮火後には、約二〇〇ミリリットルしか残っていなかったことが認められる。

2  その後、本件ポリタンクのほか、被告人方から発見されたブラジャー二枚(Aカップのもの及びベージュ色のもの各一枚)、ショーツ一枚及び封筒に入った五万円(関係各証拠によれば、本件犯行に際し、被害者方からは、その数日前に被害者がアルバイト料として受領して所持していたはずの現金約一〇万円が奪われていることが窺われるが、本件直前には被告人の預貯金の総残高は約三万七〇〇〇円まで減少していたのに、被告人は、一〇月二五日朝、八幡市内の銀行の支店で、現金八万一〇〇〇円を自己の口座に振り込んでおり、また、被告人方からは、封筒入りの現金五万円(以下「本件五万円」という。)が発見されている。右の点につき、被告人は、捜査段階において、一〇月二四日時点で、タンス預金の一〇万円など合計十六、七万円の現金が被告人方にあった旨供述しているが、被告人は当時無職・無収入であり、被告人自身、捜査段階の初期に身上関係の取調べを受けた際、財産・資産はなく、預貯金も残高はほとんどないと供述しているところ、同月二〇日には被害者からバス賃等まで借り、実家に仕送りを求めていたなどの被告人の当時の生活状況等に照らすと、被告人の、一〇月二四日時点で、タンス預金の一〇万円など合計十六、七万円の現金が被告人方にあったとする右供述は信用できず、結局、自己の銀行口座に振り込んだ右八万一〇〇〇円や本件五万円の出所は、不明であったことなどから、捜査官は、被告人が本件五万円を被害者方から奪ったのではないかと考えて、臭気選別の鑑定対象物の一つに選んだものと認められる。)を鑑定対象物として、警察犬による臭気選別(以下「本件臭気選別」という。)が、一一月六日、ライトマン京都警察犬訓練所で実施されたが、関係各証拠によれば、その経過及び結果等は、次のとおりである。

本件臭気選別では、一般的な方法に従って、鑑定対象物を入れたビニール袋内に、水洗いをして臭気を除いた白布を、ピンセットを使って入れて密封し、一定時間置いて同布に臭気を移行(移行臭)させたものを「原臭」として警察犬(使役警察犬)にかがせ、鑑定対象者の着衣や靴などから同じ要領で臭気を移行させて作成した「対照臭」一個と、鑑定対象者と年齢や性別などが類似した者の着衣などから同じ要領で臭気を移行させて作成した「誘惑臭」四個を、無作為に五穴式の選別台上に並べた中から、その警察犬に選択させる方法が採られた。

原臭は、①Aカップのブラジャーとショーツ、②ベージュ色のブラジャー及び③本件五万円については、京都府八幡警察署の刑事課応接室で、一一月一日午前一一時三〇分から午後零時一〇分までの四〇分間置いて、④本件ポリタンクについては、被害者方北側の車庫で、一〇月二六日午前一〇時から午後五時二〇分までの七時間二〇分置いて、いずれも二重のビニール袋に入った各鑑定対象物から、それぞれ臭気を白布に移行させて作成され、右①、②及び③から作成した原臭については、白布を入れたまま、各鑑定対象物を取り出し、再び密封して臭気の散逸を防ぐ保全措置が講じられ、右④から作成した原臭についても、白布を取り出し、これを二重のビニール袋に入れて密封する保全措置が講じられた。

対照臭は、被害者が国道八幡店で着用していたエプロン二着と、被告人が履いていた靴を、いずれも温風ヒーターで三〇分間加熱しながら、原臭と同じ要領で、それぞれ臭気を白布に移行させて作成し、その後、各鑑定対象物を取り出し、再び密封して臭気の散逸を防ぐ保全措置が講じられた。

誘惑臭は、被害者と同じ女性で、二〇歳から二二歳までの警察学校生五人がそれぞれ着用していたTシャツを三〇度まで加温した自動車内に三〇分間置いたもの、及び、被告人と同じ男性で、二五歳から三一歳までの警察職員五人がそれぞれ履いていた靴を温風ヒーターで加熱しながら三〇分間置いたものから、いずれも原臭と同じ要領で、それぞれ臭気を白布に移行させて作成し、その後、各鑑定対象物を取り出し、再び密封して臭気の散逸を防ぐ保全措置が講じられた。

指導手には、昭和二三年から警察犬訓練に従事し、昭和四八年に日本警察犬協会公認の一等訓練士正の資格を取得した竹本昌生が当たり、使役警察犬としては、専門の訓練を経ており、臭気選別の出動歴が約一〇〇回と経験豊富で、競技会でも優秀な成績を収めている、牡で九歳のシェパードのマルコ・フォム・ライトマン号(以下「マルコ号」という。)が用いられた。

規定に従って、本選別に先立ち、マルコ号につき、本選別と同様の方法による予備選別を三回実施した結果、その体調等が良好であることが確認されたので、引き続いて合計四回の本選別(本選別ⅠからⅣまで)が実施された。

本選別Ⅰでは、Aカップのブラジャーとショーツからの移行臭を原臭とし、被害者のエプロンからの移行臭を対照臭として四回(うち三回目は選別対象に対照臭を入れないゼロ回答選別)実施したところ、ゼロ回答選別の三回目は不持来であり、それ以外の三回は対照臭を持来した。

本選別Ⅱでは、本件ポリタンクからの移行臭を原臭、被告人の靴からの移行臭を対照臭として五回(うち五回目はゼロ回答選別)実施したところ、一回目及びゼロ回答選別の五回目が不持来であり、それ以外の三回は対照臭を持来した。

本選別Ⅲでは、ベージュ色のブラジャーからの移行臭を原臭、被害者のエプロンからの移行臭を対照臭として五回(うち四回目はゼロ回答選別)実施したところ、二回目及びゼロ回答選別の四回目が不持来であり、それ以外の三回は対照臭を持来した。

本選別Ⅳでは、本件五万円からの移行臭を原臭、被害者のエプロンからの移行臭を対照臭として三回実施したところ、いずれも不持来であった。

臭気選別では、同一物品につき五回程度実施して、うち三回持来すれば同臭性ありと判断されているが、右本選別の結果、被告人方から発見された二枚のブラジャー及びショーツからの移行臭と、被害者の着用していたエプロンからの移行臭とは、同一の臭気を保有すること、及び本件ポリタンクからの移行臭と被告人の履いていた靴からの移行臭とは、同一の臭気を保有することが、それぞれ認められた。

3  弁護人らは、本件臭気選別につき、臭気選別には科学性がないとして証拠能力を争うほか、マルコ号の訓練方法や能力に問題があること、移行臭の作成方法に問題があること、本件ポリタンクを原臭とすることに問題があること、マルコ号が臭気ではなく、人間の微妙な仕草等をもとに判断して行動した可能性(いわゆるクレバーハンス現象)があり、本件臭気選別の方法に問題があること、本選別Ⅰの際に被害者のものでないAカップのブラジャーの誤持来があったことなどを主張し、最高裁昭和六二年三月三日決定・刑集四一巻二号六〇頁の基準に照らしても、証拠とすることはできないとして、本件臭気選別の証明力を争っている。

しかし、臭気選別に科学性がないから、およそ刑事裁判の証拠なり得ないなどという主張は、犬の嗅覚能力が、経験則上、優れたものとして一般的に承認されている事実を無視し、所論の最高裁判例が、選別につき専門的な知識と経験を有する指導手が、臭気選別能力が優れ、選別時において体調等も良好でその能力がよく保持されている警察犬を使用して実施したものであるとともに、臭気の採取、保管の過程や臭気選別の方法に不適切な点のないことが認められる場合に、臭気選別の結果の証拠能力を肯定し、有罪認定の用に供し得るとしている点とも相容れない議論であって、到底採用できない。

また、本件臭気選別に際して用いられた使役警察犬の臭気選別能力や当時の体調等、指導手の知識、経験、臭気の採取及び保管の過程などは、いずれも適切であったと認められるし、臭気選別の実施方法に関して、いわゆるクレバーハンス現象の可能性があるとの主張も、右現象が飼い主や指導手と動物との間での現象として紹介されていることなどに照らせば、本件臭気選別に際し、指導手にさえ、ゼロ回答選別の有無を含めて選別対象物の配列が知らされていない以上、あてはまる余地がないことは明らかである(なお、弁護人らは、マルコ号が、対照臭を知る周囲の警察官の仕草や、対照臭をくわえた時だけその状況を撮影するために切られるカメラのシャッター音を根拠に判断した可能性や、選別台に背を向けて待機中に後ろを向いた時に、カンニングをした可能性なども主張しているが、本件臭気選別の実施状況に照らし、そのような可能性があるとの合理的な疑いを容れる事情はない。)。

次に、本件ポリタンクを原臭とすることの問題のうち、まず、弁護人らが、ポリタンクに人間の臭いが付着するか疑問であるとか、火災による熱で個人臭である脂肪酸が残っているか疑問であるなどとする点は、証人竹本昌生の供述等に照らし、根拠の乏しい独自の見解を述べるものというほかない。

また、被告人は、公判廷で、以前に被害者方で、新聞受けから誤って落とした配達物を取った際、本件ポリタンクに身体のどこか一部が触れたことがあるかもしれないと供述している(第一九回公判)が、被告人は、同じ公判期日に、右ポリタンクに触ったことはないとも供述しているのであるから、右供述自体、その信用性に疑問があるし、本件ポリタンクの内容物は、四月ころまで被害者方で暖房用に使用された灯油の残りであって、そのころから、同ポリタンクは玄関から部屋の奥に向かって左側に、他の二つのポリタンクとともに三つ並べて置かれていたところ、本件ポリタンクは、そのうちの最も奥に置かれていたのであるから、被告人の供述するような状況で、本件ポリタンクに被告人が接触したとの合理的可能性も認められない。

のみならず、証人右竹本の供述によれば、本件犯行当時、本件ポリタンクには灯油が入っていて相当の重量があり、かつ、犯人の感情が高まっていることから、犯人がこれを持ち上げた際、臭気が付着しやすいため、臭気選別が容易になし得るが、単に触れた程度であれば、時間の経過により臭気の保存は難しいというのであるから(本件犯行当日を別とすれば、被告人が被害者方に最後に行ったのは、一〇月二〇日であり、本件ポリタンクからの原臭の作成日は、その六日後の同月二六日である。)、仮に、被告人が公判廷で供述するような状況で、被告人が本件ポリタンクに触れたことがあったとしても、右は、本件臭気選別の信用性に影響を与える事情とはならないものと解される。

さらに、本選別Ⅰで誤持来があったとの主張については、たしかに、本件当時、被害者が着用していたブラジャーのサイズはCカップであるが、本選別Ⅰに用いられたAカップのブラジャーは、ショーツと一緒にして移行臭が採取されているのであり、仮に同ブラジャーが被害者以外の者の持ち物であったとしても、ショーツが被害者のものであれば、それからの移行臭をもとに選別されるところ、マルコ号は、混合した臭気への対応能力を有していると認められ、また、Aカップのブラジャーとショーツは、元来、同一場所から発見された物品であるから、相互に臭気が移行している可能性もあることを考えると、右の点は、選別の正確性に疑義を生じさせる事情とは言えない。

4  以上のとおり、本件臭気選別は、指導手の資質、警察犬の臭気選別能力及び当該選別時の体調等、臭気の採取及び保管の過程、臭気選別の方法などの諸点につき、前記最高裁判例の基準を満たす良好な状況下で実施されたものと認められるのであって、その結果は、証拠能力を有するとともに、本件において有罪認定に用いるに十分な信用性を有するものと解されるのであるが、本件ポリタンクに被告人の履いている靴と同一の臭気が保有されていた事実は、被告人が本件ポリタンクに接触しているとの事実を推認させるものである。

そして、本件犯行に際し、被害者方は、灯油を撒かれた上、放火されており、その状況からすれば、右灯油は本件ポリタンク内にあったものが、犯人により撒かれたものと推認されるのであるから、以上を総合すれば、被告人が本件ポリタンク内の灯油を撒いて放火したことが推認されるというべきである。

八  本件犯行が発生した当日のアリバイの検討

1  弁護人らは、本件犯行が発生した一〇月二四日、被告人は、岡山の実家に帰省するつもりであったが、途中、軽い旅行のつもりで、神戸に行ってみようと思い、神戸市内の三宮に行っていたものであるとして、被告人にはアリバイがあると主張する。

そして、被告人は、当日の自己の行動等につき、大要、次のとおり、右主張に沿った供述をしている。

被告人は、午前八時三〇分から午前九時の間に、自宅を出たが、最終的には岡山に帰省するつもりであったものの、途中で、六甲山の方に行ってみようと思い、バスと電車を乗り継いで、JRの六甲道駅で下車し、バスで六甲山に行こうとしたが、神戸大学の側でバスを降りることにして同大学構内に入り、生協でパンを買って食べたりした。

正午ころ、被告人は、同大学を出て、再びバスに乗り、六甲道駅から三ノ宮駅まで行き、下車して生田神社を見たり、パン屋でパンを買って食べたり、三宮センター街をぶらぶらした後、午後一時から午後二時の間に、同センター街の公衆電話からCの携帯電話に電話をかけ、五分から一〇分間くらい、今、三宮にいることや、被告人所有の車のブレーキがキーキー鳴る話などをした。

午後二時ころ、被告人は、数日前に就職のための面接試験を受けた司法書士事務所から連絡があるかもしれないと考えて、京都に戻ることにし、三ノ宮駅から電車に乗って京都に向かい、京都駅で下車して八幡市に戻り、一旦自宅に帰った後、午後三時半から午後四時の間に、自宅近くの「ごん平食堂」で食事をし、同食堂前の公衆電話でCに電話をしたが、すぐに切られた。その後、被告人は、京都市の三条にある書店で参考書を買おうと思い、自己の車で京都市内に向かったが、その途中、携帯電話でCに電話をかけ、五分から一〇分間くらい、Cの被害者と会う予定や、被告人の車のブレーキの話などをした。

被告人は、書店の前まで行ったが、駐車できなかったことから、そこには行かないことにし、北方に向かって、午後五時過ぎに実家に電話をかけ、帰省の予定を少し延ばしたいと告げた。

午後五時三〇分ころ、G子が被告人に電話をかけてきたが、その際は用件を聞く前に電話が途切れた。午後六時三〇分ころ、再びG子から電話がかかってきたが、その際G子は、被害者方が火事になり、焼死体が出てきたと言ったので、被告人は、G子の作り話と思った。一旦電話が切れた後、再度電話をかけてきたG子は、出てきた焼死体が被害者らしいと警察が言っていると話したので、被告人は、被害者はピアノのレッスンか学校に行っているはずだから変だと話した。

そして、被告人は、岡山の実家に電話を入れ、その後は、携帯電話は使わず、公衆電話で、実家やG子と連絡をとっていた。G子からは、警察に呼ばれて、被告人と被害者との交際関係等を聴取されたことや、被告人の行方を聞かれたことなどを話していたので、被告人は自分が疑われているのを知り、心配になった。

午後一一時三〇分ころ、被告人は、Cに電話をかけて、「事件について聞いているか。」と尋ねると、Cは火事のことを知らない振りをしていた。

以上のような内容の供述である。

2  ところで、被告人の右公判供述によれば、被告人は、帰省するために、朝、自宅を出て、電車を乗り継いで岡山の実家に向かっていながら、神戸で途中下車して小旅行に興じ、急に京都に引き返したことになり、その行動自体、不自然である上、被告人は、捜査段階では、当日の行動につき、被害者方へ侵入して同所からCに電話をした(検第二〇四号)、午後一時ころから午後二時ころまでの間に「ごん平食堂」の東側の公衆電話でCに電話をした(検第二一五号)、午後二時か午後二時一五分ころ同食堂で食事をした(検第二一二号)などと、右公判供述とは整合しない供述をしており、かつ、同供述は、捜査官から矛盾を指摘される都度、たびたび変遷しているものである。

のみならず、被告人は、第一回公判期日(平成九年二月六日)の少し前まで、弁護人らに対してさえ、神戸に行ったことは話しておらず、その前の一一月二七日に開かれた勾留理由開示の法廷でも、一〇月二四日午後二時ころは、自宅近くの食堂にいた旨供述していたものであるから(もっとも、被告人は、警察から任意で事情聴取を受けた一〇月二五日には、「一〇月二三日夜から自分の車で岡山に向けて帰るところであったが、途中でUターンして、同月二四日の何時かに京都に帰ってきた。」と話しているが、これが虚偽であることは、被告人自身も認めている。)。

また、たしかに、被告人が、当日、昼ころ及び午後四時四四分の二度にわたり、Cに電話をかけたことは、同人の供述からも裏付けられているが、このうち、被告人が三宮センター街の公衆電話からかけたと公判廷で供述する電話で、被告人は、Cに対し、「三宮にいる。」と告げているところ、当時、携帯電話を所持していて、日ごろもこれでCに連絡をとっており、かつ、現に同日も京都ではこれを頻繁に使用して、Cにも連絡している被告人が、この時に限って公衆電話でCに電話をかけたという点には、不自然さを拭えないし、Cに対して、あたかも自分の所有する車を運転して外出中であるかのように装っている点は、バスや電車を乗り継いで神戸に行ったとする被告人の公判供述とも明らかに矛盾している。

さらに、Cに対して、午後四時四四分に携帯電話で電話をかけた際、被告人は、六甲を抜けて京都方面に向かっていると告げているところ、実際には、同電話の発信地は、通話記録上は「京都」であるし、被告人自身の公判供述によっても、同時刻ころは、書店で参考書を買おうと思って、八幡市内の被告人方から自己の車で京都市内に向かう途中であったというのであるから、やはり矛盾している。

そして、Cと被害者との交際を知って激怒し、一〇月一九日には絶交するとまでCに述べている被告人が、わざわざ外出先から、Cに対し、ブレーキの調子がおかしいなどといったささいなことで同じ日に二度も電話をする理由も全く理解できない。この点、弁護人らは、被告人は、一〇月二〇日にCらと海にドライブに行く約束をしており、両者は絶交状態ではなかったとするが、右約束は、被告人がCに絶交を宣言するより前の同月一七日になされたものであるところ、Cにしてみれば、被告人の交際相手であった被害者を自分が奪った形となるから、被告人から絶交を申し入れられるのであれば、甘受すべき立場にはあるものの、自分の方からそれまで親友であった被告人と絶交する意思はなかったという心理状態であったとしても不自然ではなく、Cの方から被告人に電話をかけて、約束どおり海に行こうと誘っても、格別不合理ではない。これに対し、被告人は、Cからの誘いの電話にもかかわらず、右の約束を取り止めてしまっているが、その理由は、前後の経過に照らすと、自分の方から絶交を宣言した相手であるCに対する恨み等からであると解され、そのような両者の関係を考えると、被告人が同月二四日に、ささいなことでCに二度も電話をかけたのは、唐突で不自然な行為というほかない。

3  なお、被告人の母親である証人H子は、一〇月二四日に被告人から連絡があった状況や、その前後の状況等につき、被告人の公判供述に沿う供述をしているが、同証人の供述には、曖昧な部分や不自然な部分が多く見られるほか、同証人は、自己の捜査段階における供述を合理的な理由なく変遷させていることが強く窺われるのであり、被告人との人的関係等をも考慮に入れると、到底信用することができない。

4  以上によれば、被告人の右公判供述は到底信用できず、他に、被告人が当日神戸市に行ったことを客観的に裏付ける証拠及び事実は何ら存在しないというべきである。そして、前項までに検討した事項をも合わせ考えると、被告人にアリバイが成立しないものと評価できる。

九  結論

以上の諸事情に加え、被告人が、被害者が犯行発生日当日午後二時過ぎに国道八幡店から帰宅することや、被害者方の内部構造等をよく知っていることなどをも総合すれば、弁護人らが種々主張するところをすべて検討しても、被告人の公判供述は、個々の事項につきそれぞれ詳細に弁解するが、話の流れが極めて非現実的かつ不自然で、全体として見た場合、幼稚で拙劣な弁解と評すべきものであり、到底信用するに値するものではなく、被告人が、その直前にCと被害者との交際を知り、被害者の翻意を促したが奏功せず、冷淡にされたことなどから、被害者方に立ち入って、アリバイ工作等の趣旨で、同所にあった加入電話機を用いて、Cの携帯電話に、「スキヨA」というポケベルメッセージを発信するか、又はCと通常の通話をするかした後、帰宅した被害者の左頬部を刃物様のもので突き刺すなどの暴行を加えた上、同女の身体・着衣及びその周辺に灯油を撒き、それに点火して火を放ち、よって被害者方を全焼させるとともに、被害者を全身の広範囲火傷による火焔ショックにより死亡させて殺害したことを、優に認定することができる。

そして、一〇月二三日にG子に対して、同日夜か翌日、岡山に行くなどと虚偽を告げた上、本件当日、Cに神戸市内の三宮にいるなどと告げているところ、これらは、本件犯行当時、被告人が八幡市内にいなかったことにするというアリバイ工作としか評しようがないことなどからすれば、被告人は、周到に準備した上、当初から、被害者を殺害する意図で、被害者方で待ち伏せし、帰宅した被害者の殺害等に及んだものと推認される。

(法令の適用)

罰条

現住建造物放火の点 刑法一〇八条

殺人の点 刑法一九九条

科刑上一罪の処理 刑法五四条一項前段、一〇条(一罪として犯情の重い殺人罪の刑で処断)

刑種の選択 無期懲役刑を選択

未決勾留日数の算入 刑法二一条

訴訟費用の負担 刑訴法一八一条一項本文

(量刑の理由)

一  本件は、被告人が、被害者方において、刃物様の凶器を被害者の顔面に突き刺すなどした上、その身体・着衣及びその周辺に灯油を撒いて放火し、現住建造物である被害者方を全焼させるとともに、被害者を全身の広範囲火傷による火焔ショックにより死亡させて殺害したという事案である。

二  犯行態様は、被害者の行動パターンを熟知していた被告人が、あらかじめ被害者方に立ち入って、帰宅する被害者を待ち伏せて犯行に及んだというもので、計画性が極めて高く、また、生きている被害者の身体等に灯油を撒いて火を点け、家屋ごと焼損させて殺害するという、強固な殺意に基いた非常に冷酷で残忍な犯行である(被害者の遺体は、背面部等の皮膚が黒く焼けただれ、損傷の激しい部分では筋肉組織や頭蓋骨まで露出していたほか、右遺体の周囲には、大きな血痕も見つかっており、犯行の残忍さを端的に物語っている。)。

のみならず、被害者方は、木造瓦葺二階建のアパートの一居室であるが、すぐ隣に居室が並んでいるほか、近隣には人家等も立ち並んでいるところ、現に隣家のカーポートやそこに停めていた自動車のボディ等が焼損していることからも明らかなように、近隣の人家等に延焼する危険性も高かったものあり、本件犯行が近隣住民に与えた恐怖と不安は計り知れない。

三  犯行動機は、被告人が、それまで約半年間交際してきた女性が、被告人と別れて、被告人の知人と交際を始めたことを知ったことから、被害者に復縁を求めたが、拒否され、冷淡にされたことなどに憤慨したというものであるところ、男性との交際経験の乏しい被害者が、当初は被告人に夢中になっていたものの、付き合いを重ねるうちに、次第にその性格等が嫌いになって、別れ話を持ち出したとしても、それは格別非難に値することではないし、被告人からの復縁の申入れを拒否して、新たに、被告人の親友である男性と交際を始めたことも、いわゆる三角関係に立たされる被告人の感情に配慮しなかったことにつき、被害者にも多少責められる点はあるにせよ、本件のようにむごい犯行の標的とされる筋合いの話では全くないのであるから、被告人の右動機は、やはり自己中心的であって酌量の余地はないというほかない。

四  被害者は、昼間にアルバイトをしながら、保母を目指して、福祉専門学校の夜間部に通っていた若い女性であるが、被告人から、執拗に復縁を迫られ、付きまとわれた挙げ句、突然、自宅で待ち伏せていた被告人に襲われ、抵抗も空しく凶器で突き刺された上、灯油をかけて放火され、殺害されたもので、いまだ一九歳と若くして一命を絶たれた被害者の味わった恐怖と苦痛、無念の思いは、筆舌に尽くし難いものであったと解される。

本件犯行により、最愛の娘と家族の憩いの場であった自宅を奪われた被害者の両親らが受けた衝撃と憤りは、察するに余りあり、犯人に対して極刑を求める心情は十分理解できる。

五  被告人は、自分にはアリバイがあるなどと供述し、本件犯行を全面的に否認しているばかりか、正に「死人に口無し」をいいことに、被害者の方が積極的に被告人に対してセックスを求めてきたが、自分の体調が悪く応じられなかったとか、自分の方から別れたかったのに、被害者は執拗に復縁を求めていたなどと、被害者が節操のない女性であるかのような供述を繰り返しているのであり、単に反省の情を示していないというにとどまらず、被害者を最後まで侮蔑するような言動さえとり続けている。

もとより、被告人は、被害者の遺族らに対し、何ら慰謝の措置を講じていない。

六  以上によれば、被告人の刑事責任は極めて重大であり、被告人には前科がないことなど、被告人に有利に斟酌すべき事情を最大限考慮しても、被告人を主文のとおり無期懲役刑に処し、自己の刑事責任の重大さを自覚せしめるとともに、生涯をかけて、被害者及び遺族らに対し償いをさせるのが相当であると判断した。

(裁判長裁判官 榎本巧 裁判官 松田俊哉 宮本博文)

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